公開日 2018年03月16日
更新日 2024年05月08日
日米和親条約による米国捕鯨船への補給基地
ペリー来航の翌年,安政元年(1854年)日米和親条約が締結され,翌年に薪水・食料補給港として開港しました。
この条約の目的は,当時,北海道近海で操業していた米国捕鯨船の休憩基地としての開港要求であり,函館は開港当初から鯨と縁が深かったことがわかります。
ペリー提督,来航記念碑 (函館市弥生町2番)
函館近海での捕鯨
日米和親条約による補給港としての役割を果たす後も,数字などの具体的記録はありませんが,函館近海で捕鯨が行われていた事実を示す記述や絵などが残っており,鯨の供養塔も建てられております。
函館は,幕末から捕鯨との縁は深く,安政4年(1857)幕府が中浜万次郎(ジョン万次郎)を函館に派遣して捕鯨の指導をさせたり,またドイツ(当時プロシヤ)船などから捕鯨を学んだ事跡があります。
鯨族供養塔 (函館市弥生町9-9)
鯨族供養塔 観光看板
近年の近海ツチクジラ漁
函館市は,平成11年度から平成28年度まで日本小型捕鯨協会によるツチクジラを対象とする小型捕鯨の基地となっており,毎年,5月から6月にかけて,ツチクジラ10頭を上限に,捕鯨が行われておりました。
捕獲したツチクジラ水揚げのため函館港豊川岸壁へ接岸(当時)
クレーンによるツチクジラの水揚げ作業(当時)
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