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椴法華の歴史

公開日 2016年03月25日

更新日 2022年03月18日

椴法華の由来

アイヌ語のトトポケ(岬の陰)に由来する(諸説あり)。

椴法華村の沿革

  • 明治9(1876)年に尾札部村から一村独立し,椴法華村誕生。
  • 明治13(1880)年に椴法華村戸長役場開設。
  • 大正8(1919)年に二級町村制施行。椴法華村戸長役場を椴法華村役場と改称。
  • 昭和10(1935)年に椴法華村役場旧庁舎竣工。
  • 昭和51(1976)年に「椴法華村開基百年記念式典」挙行。
  • 昭和56(1981)年に椴法華村役場新庁舎竣工。
  • 平成3(1991)年に青森県風間浦村と「友好村締結調印式」挙行。
  • 平成15(2003)年9月29日に「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町合併協議会」設置。
  • 平成16(2004)年4月23日に「合併協定調印式」挙行。
  • 平成16(2004)年11月23日に「椴法華村閉村式典」挙行。
  • 平成16(2004)年12月1日に戸井町,恵山町,南茅部町とともに函館市に編入合併。

縄文文化

道指定の有形文化財となった尖底土器の出土など,椴法華も渡島東海岸同様,広く縄文遺跡が分布し,

発掘調査により,その年代が縄文早期から晩期,続く縄文と八千年以上に渡り,縄文人の里であったことが判明している。

発掘調査が行われた遺跡は12箇所にのぼる。

鱈漁場として栄える

箱館六ヶ場所の一つ,尾札部場所の鱈漁場として栄え,

「椴法華の鱈が最上であり,(幕府への)献上品となった」と高田屋嘉兵衛が松前秘説(天保10(1839)年)に記している。 

恵山岬灯台

航海の難所,津軽海峡東口の安全を期し,恵山岬町に灯台を設置する。

明治23(1890)年に初点灯,明治41(1908)年に霧信号所業務を開始し,海霧で悩む船乗りたちの助けとなる。

第二次大戦の空襲による焼失から復旧工事(昭和24(1949)年)や改築工事(平成元(1989)年)を経て,現在の灯台は三代目である。 

函館までのバス運行

昭和8(1933)年に古武井,椴法華間の道路が開通し,下海岸自動車(株)が函館,椴法華間のバス運航を開始。

陸の孤島と言われた椴法華村にもようやく「文化の光が射した」と言われた。

昭和19(1944)年に下海岸自動車(株)を含む14社の自動車会社が統合され,函館乗り合い自動車(株)を設立。

昭和26(1951)年に函館乗合自動車(株)が社名を函館バス(株)に変更。

平成13~15(2001~2003)年に函館市から函館バス(株)に市営バス事業を段階的に移管。

現在も函館バス(株)による運行がなされている。

 

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椴法華支所 地域振興課
TEL:0138-86-2111